男性会員様の声

F様の声 12月1日 

2025年12月11日
お客様の声
12/1(月)
朝食後、いよいよ出立します。 朝食中であったお父様、お母様に「今から妻を連れていきます」とあいさつをしたところお父様からは「ああ」、お母さまからは「チョークディ(幸せにね、さよなら)」と声をかけられました。 車で家を出る直前、お父様が見送りされたので、いなくなる娘を心配していたのだと思います。
ラオスみやげをパクソン市場で探したのですが、コーヒーとビアラオくらいしかなく、あとは中国、タイ、ベトナム製のものばかり。 妻の言うところでは運送費もかかり本国よりも割高なのだそう。
ウボンまで車を乗り継ぎ、ウボン→BKKはフライト。その後バンコクのホテルへ。 なお、ラオスタイ国境では、妻が出国時200バーツ、タイ入国時300バーツを徴収されていました。 自分はラオス出国時に100バーツ徴収でした。昨年5月はなかったので新しくできたのか、何なのか。

12/2(火)、12/3(水)はバンコクで主に妻の服の買い物、その後12/3(水)夜のフライト乗り継ぎで羽田に到着。 ご案内の通り外国人の列に並び、妻が在留カードを受け取ったのを確認しました。

バンコク着から風邪をひいたらしく、横になる時間が多かったのですが、7日(日)はまあまあになりほっとしています。 来日時がちょうど冬なので「ナーオ(寒い)」を連発していますが、ずっと部屋にいるのもよくないので外に出て散歩、買い物などに連れて行くようにしたいと思います。

F様の声 11月29日・11月30日

2025年12月10日
お客様の声
11/29(土)
5時半、妻が来て人間モーニングコール。また外の鶏の「コケコッコー」が耳に入ってきます。 朝もまだ気温が低めで、水シャワーを震えながら使用。 ピンクの衣装を着用し、8時過ぎ有名なバーシー開始。有力者からありがたい祝詞を拝聴します。その後参列者から自分とラーの手首に白い糸と現金(糸だけの人も)を巻いてもらいます。この時に巻いてもらわれる人は、結ばれる手首ではないほうの手を手刀を切るようにピッと立てておく必要があるそうです。自分もラーからそうするよう注意を受けました。
ここから先は日本のように挨拶は一切なくひたすらパーティ。私も今日は主賓なので、何か所かテーブルを回り挨拶をして、ビールをいただきました。 昼くらい部屋に入り休憩。しばらくしてまた飲みに参加。 夕方になってもまだ宴会は続いています。 この日は妻宅の一室に妻と同衾。結婚式を経て夫婦として認められたということなのでしょうが、親戚は大広間でマットレスの雑魚寝状態だったので、少し心苦しかったです。
カラオケは今夜は隣の家でカラフルなライトニングとにぎやかなサウンドで深夜までやっていました。 近所迷惑ではないかと思われる大音量で大丈夫なのかと心配になるくらいです。でも自分たちの式のためだから、むしろありがたく思わないと。 夜中小用に立った時、時計を見ると3時くらいでしたが絶賛継続中。しばらくしてカラオケが止むと、すぐ鶏がなき始めたのをうとうとしながら耳に入ってきました。

   

11/30(日)
朝、鶏の声とともに目覚めまた水シャワーを使用。 朝7:30頃レンタル業者がテーブル椅子の回収にやってきました。ブーケスタンドも昨晩撤去していて夢のような日も終わりです。 ただ、約10名程度庭でカラオケをやっていました。その中のおじさんに自分も誘われましたが、昨夜の酒が残っていたので失礼しました。
午前は家の前の砂利道を20分程度奥まで散策。靴もシャツも土煙にまみれましたが、まあこういうもんでしょう。 午後、自宅近くのコーヒー園を見せてもらいました。 赤く実をつけていて、今回の式がなければ家族総出でコーヒー摘みで忙しい日々だったと思います。 実家を離れて住むお兄さんは、式後しばらくコーヒー豆摘みの手伝いをすると言っていました。



日本からのおみやげをお母さまに進呈。引き続き、結納金をご両親にお渡ししました。 また、自分とラーからラーの父母、兄弟、親戚に白糸を手首にかけました。 結局新婦宅に3泊することとなり、事前に言われていた新郎は新婦宅に3泊するということを達成したと思ったところ、ラー曰く、結婚式の夜から3泊だそうです。 まあそこは目をつむってね、です。

      

F様の声 11月27日・11月28日

2025年12月09日
お客様の声
お世話になっております。
Fです。
御社のサポートをいただきまして過日無事来日することができました。
また、表記の報告をします。

11/27(木)
早朝の便でバンコクからウボンラーチャターニー空港へ。
バスターミナルで、ウボン→チョンメックバスチケットを購入。 ウボン→パクセー直通バスが楽ですが、ラオスのSIMカードを国境を出た後に入手するため、あえて分割行程とすることにしました。 ゴロゴロ荷物を引いて国境越え、国境ビルを出たその中のおばちゃん(お姉さん?)よりSIMカードを150バーツで購入。 パクセー行きロットゥーに乗車。ここで妻にLINEで連絡を取り、運転手に代わってもらいながら結局パクセーから一人乗車でパクソンの目的地まで運んでもらいました。 そこの地点で、妻とお兄さんが待っていました。 レンタル服店で式の衣装サイズ合わせの後、ホテルへ。妻たちは自宅へ。 18:30過ぎ夕食のためホテル対面の食堂へ。出されたのは水ではなく温かいお茶でした。麺をすすっていると19時前にしてシャッターを閉め始めます。ここらあたりは街灯からも離れていたので、19時を過ぎると足元も見えなくなるくらいの暗さに。石で転んだり野犬にかまれたらしゃれにならないな、そして何より気温がおそらく10度前半と思われる寒さで付近散策も早々に切り上げホテルに戻りました。 部屋には薄い毛布しかなく、ここは南回帰線より南のはずなのにと震えながら眠りにつきました。



 11/28(金)
日が出ると暑いとまではいかないまでも過ごしやすくなったので、朝食後幹線道路をぶらぶらと歩いてみました。ミニマートで売り場のお姉さんに聞いてパクソン産コーヒーを教えてもらい2袋購入。またホテル近くのコンビニでもパッケージにPAKSONG BOLAVENと書かれた商品を見つけ2袋購入しました。地元と妻の家族への微力ながらの支援です。 午後、妻とお兄さんが迎えに来て自宅へ。幹線道路から北に向かう道を進むのですが、最初の数百メートル以外は舗装なしの砂利道。舗装なしだけではなく、途中爆撃された(ちょっと言いすぎですが)のかと思われるような窪地もあり、それを避けながら行くため上下左右に体が揺れてしまいます。 40分後何とか妻宅に着き、ご両親、姉兄にごあいさつ。 庭先ではテーブルがセットされ、何人かがカラオケとともに飲食をしていました。 私も加わりましたが、今日はさすがに深酒はできないと思いある程度で抜けました。 21時ころから業者が来て、ブーケ飾りの設置を眺めていました。 この日は同じ敷地内の親戚の家に寝させてもらいました。 引きつづき肌寒く、布団2枚にしてもらって就寝。 カラオケは引き続き外でやっているのが聞こえました。

O様の声 12月8日

2025年12月08日
お客様の声
東北地方O様より連絡いただいたので紹介させてもらいますconfident
義理の母のVISAの件でお世話になりました。
10月〇〇日無事に女の子が生まれました。